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自由組太刀とは何か?

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今、世界が日本の居合に目を向けている

 国際居合道連盟鵬玉会の道場には、海外からたくさんのお客様がいらっしゃいます。マサチューセッツ工科大学(MIT)、スタンフォード大学(SU)、カリフォルニア大学バークレー校(UCB)、ハーバード大学(HU)とともに全米TOP5に数えられるカーネギーメロン大学コンピューターサイエンス学部の教授と道場を埋め尽くした卒業生たちは、無外流の居合の技術だけではなく、禅に通じるものの観方に「amazing」とおっしゃっていました。彼らはいずれアメリカの中枢に立つ人たちであり、日本文化を通じて日本の理解を深めていただくのは、未来のために有用ではないでしょうか。

 また、エリザベス女王を警護していた方や、アメリカの特殊部隊デルタフォースの要人も今年に入っていらっしゃいました。彼らの中には、「そのためだけに日本にやってきた」という方もいらっしゃいます。居合が持つ長い歴史を背負うという責任はとても大きいのだと思います。

Martial Artsという概念、それは本当に強いサムライだ

 そんな方たちが期待するのは、形をするだけの居合ではありません。彼らはMartial Artsという概念でサムライの武道をとらえています。それはおそらくディズニープラスで話題であり、世界的なヒットになろうとしている「SHOGUN 将軍」を見ても感じられることでしょう。斬れて当たり前だし、実戦をして当たり前だと憧れてやってくるのです。

 そして、サムライの時代から存在している居合には、それに応える道があります。居合の3つの要素「形(かた)」「組太刀(くみだち)」「試し斬り」です。



居合を構成する「形」「組太刀」「試し斬り」がその期待に応える

(1) 形 仮想敵を想定しながら寸分たがわぬ動きを反復練習し、一人で行うもの。形を繰り返してものにするのは、日本独特のものであり、欧米人はソロパフォーマンスと考える。

(2) 組太刀 打太刀(うちだち;負ける方)、仕太刀(しだち;勝つ方)と決められて、決まった形通りの戦いをするもの。

(3) 試し斬り 抜刀術の団体は多くは「試斬(しざん)」と呼ぶ。

 注意を一つ入れるなら、試し斬りには、流派それぞれの考え方が色濃く出ます。私たち無外流居合においては形の抜き打ちの初太刀で斬れるか、が問われるため、鮮やかに抜きつけることを目指します。無外流の試し斬りは形の抜き打ちの初太刀で斬ることを目標にする。

これは形「右の敵」をアレンジしたものを敵目線で撮影。



やってみなければわからない

 間合いも手の内も、実際に斬ってみなければ「今やっている動きでいいのか」はわかりません。

 同じく組太刀も、やってみなければ実際の間合いや相手の動きがわかりません。わからないまま形をするのは、思い込みになってしまうかもしれず、危険ではないかと思います。

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形につながり、それは居合の宇宙を構成する

 ここまでの考察だけでも、やってみれば「形」のとらえ方が複合的になるだろうと、容易に想像がつくのではないでしょうか。
 「形」「組太刀」「試し斬り」はそれぞれが別のものではなく、それぞれがつながることで居合を立体的に浮かび上がらせるような働きをするような気がします。
 無外流においては先代宗家塩川寶祥先生が、またその直弟子であり私の師であるご当代、明思派宗家新名玉宗先生が強く試し斬りや組太刀の指導もされたのは意味があることだと思います。

 さらに一歩進めてみましょう。

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本当に戦ってみたらどうなるんだろう?

 組太刀が形のままである限り、悪く言ってしまえば手品のようなものです。

 相手がどうするかわかっている、それをさばく、というのは呼吸が合えば鮮やかにできるでしょう。
 この組太刀がいかにうまいからと言って、強いわけではない、というのはそういうことです。

 本当にやってみたらどうなるんだろう、私たちの稽古しているものは、ちゃんと相手の動きに対応できるんだろうか?
 人が「柔道」を連想するときは、敵と組んでいる姿を思い浮かべるでしょう。
 「剣道」なら、面・胴・小手をつけて打ち合っているところを想像するでしょう。
 「空手」なら、突きや蹴りの応酬をしているところを想像するのではないでしょうか。
 なぜ居合だけが、一人で形を舞っている姿を想像するのでしょう。

 かつて空手は「形中心」だったそうです。
 そこに「やってみよう」から始まった、実際に戦う組手が入ってきて、そしてそれが空手を代表するものになりました。
 その戦いにつけられた「自由組手」という名前はおそらく「組太刀」から応用されたネーミングではないかと妄想します。
 なぜなら、「組太刀」という名前が先にあったからです。
 それが極真空手の創始者大山倍達総裁のネーミングによるものか、同時期に大山総裁とやられていた剛柔流の山口豪玄先生によるものかは私は残念ながら知りません。そしてそれはここでは本筋ではないので省きましょう。

2013年、自由組太刀の概念が誕生

 先に空手に使われてしまいましたが、約束の上に成り立つ形としての「約束組太刀」ではなく、実際に戦う「自由組太刀」をしてみたいと師である新名宗家に表明したのは、2013年の福岡での稽古の後のすし屋でのことでした。
 当然古巣であった極真空手の「組手」の考え方、新名宗家から学んだ無外流の組太刀、それも一般の方が知り得ないところまでの知識と経験があって実現するものでした。
 しかし、本当は新しいものではなく、流祖の道場では実際に打ち合っていた逸話はいくつもあります。

自由組太刀はあくまで実際を想定

 やってみれば、このヒリヒリした緊張感はたまらないでしょう。
 「居合」の大会としたのは、武士同士が出会うとき、「抜刀してやってくる」というのは普通ではないからです。
 あくまで納刀した状態からでなければなりません。
 そのとき、「抜刀を簡単にはさせてくれない」敵の存在に気づくでしょう。
 武士の戦いですから、刀同士の戦いでなければなりません。
 サムライの時代、槍を持って歩いていいのは大名行列だけですし、長すぎる刀も同様です。
 だからこの大会は、脇差を使うことまでしか許されていません。
 二刀は大丈夫。
 ただし、二刀であれ、抜刀することができなければなりません。

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可能性はきっと無限大、居合の命は「組太刀」と「試し斬り」

 自由組太刀は選手にとっても可能性があるでしょうが、さらに一般の方への普及という点でも可能性があります。
 これまでの大会で、観客が歓声を上げるのは当たり前となりました。
 そんな居合の大会はありません。
 やって最高、見て興奮する、それが自由組太刀です。
 深いも浅いも関係ない。
 段位も資格も流派も関係ない。
 斬られれば負けなんだから、外国人だってわかります。
 それは大歓声になるのがよくわかろうと言うものです。

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 初めてみましょう。
 最初は下手くそでもいいじゃないですか。
 残念ながら形がうまかろうが、約束組太刀がいかにそれらしかろうが、自由組太刀の強さとは比例しません。
 でも挑戦してみないとわからない。
 技術の交流は、きっと化学変化を引き起こすはずです。
 次代に残る理由が生まれるはずです。

 武道が強さだけを求めるのは寂しいことです。
 しかし、武道の根幹が強さなのは、間違いありません。
 強くない武道なんて考えられません。
 どんな流派の流祖でも、きっとすごかったに違いありません。
 戻って、武道の根幹が強さなら、居合の命は「組太刀」と「試し斬り」です。
 その組太刀は自由組太刀でなければならない理由は上記の通りです。 



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